山崎宗鑑さん
2月27日(金) プッ プッ プッ プウゥー ただいまから 俳諧(はいかい)の祖(そ) 連歌(れんが)をお送りします プッ プッ プッ プウゥー あのジイさん 徘徊(はいかい)し ...

宗鑑はいづこへと・・・山崎宗鑑
宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとようありてあの世へといえ 心かかることは山ほどでもやがて ハイごきげんようと 君を訪ねむ(ねーね)

(48)“俳諧の祖・山崎宗鑑が隠棲した観音寺”
... その後、室町時代後期になって、山崎宗鑑(やまざきそうかん)が、この連歌のルール(式目)を簡素化し、身近な題材や自由で滑稽味のある ... 俳諧の祖といわれる山崎宗鑑は近江源氏の出で、1465年頃、近江国栗太郡志那郷(現在の滋賀県 ...

山崎宗鑑
やまざきそうかん 連歌師

謎の連歌師・俳諧の始祖 山崎宗鑑
... 『俳文学大辞典』所収「宗鑑(沢井耐三稿)」による) (参考文献) 潁原退蔵「山崎宗鑑伝」(『潁原退蔵著作集二』) 吉川一郎『山崎宗鑑伝』(昭和三〇) 木村三四吾「山崎宗鑑」(『明治・俳句講座二』) 尾形仂「宗鑑と守武」(『俳諧史論考』) 一夜庵建立 ...

山崎宗鑑(やまざきそうかん、寛正6年(1465年)? - 天文 (元号) 天文22年(1553年)?)は、戦国時代 (日本) 戦国時代の連歌師・俳諧作者。本名を志那範重、通称を弥三郎と称し、近江国の出身とされるが、本名・出自にについては諸説あり定かではない。
室町幕府9代将軍足利義尚に仕えた(近習とも祐筆とも)が、義尚の陣没(延徳元年1489)後出家し、摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山城国(摂津国?)山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。大永3年(1523)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びそこで生涯を終えた。「一夜庵」の名は宗鑑が長居の客を厭い一夜以上の宿泊を断ったからといい、建物は修復を重ねながら現地に残されている。宗祇・宗長・荒木田守武などと交流し俳諧連歌を興隆した。宗鑑の連歌作品として伝わるものはわずかであるが、俳諧連歌のもっとも早い時期に編纂された俳諧撰集「犬筑波集」があり、その卑俗奔放な句風は、江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えた。なお、荒木田守武とともに、俳諧の祖と称される。能筆家としても有名で生計は書を売ることによって立てていたとも伝わる。
山崎宗鑑の詳細