山崎宗鑑
「宗鑑はいづこへと人の問うならば ちとようありてあの世へといえ」 ― 山崎宗鑑(1553没) ― ■フラワーショップ乃木坂■ http://store.yahoo.co.jp/e-youran/index.html

俳句の祖・山崎宗鑑屋敷跡と芭蕉
... そして、この関大明神のはす向かい二軒南にたたずむ『俳句の祖・山崎宗鑑屋敷跡』も。 ◆ ◆ ◆ 谷崎が書いていない山崎宗鑑屋敷跡地(旧社家石上家)には、松尾芭蕉の俳句の50cm程の句碑が立つ。 ...

京都錦秋編(6):大山崎山荘美術館(07.12)
... そこには、ここ山崎に隠棲していた山崎宗鑑の句碑がありました。「うつききてねぶとに鳴や郭公」 「上の客立ち帰り、中の客其の日帰り、下々の客泊りがけ」と書いた額を庵に掛けていたという室町期の風狂の俳人ですね、「犬筑波集」の編者でもあります。 ...

ゆっくり街道物語・志那三郷めぐり
... その山崎宗鑑(イラストは宗鑑像)についてです。 山崎宗鑑の伝記はほとんど知られていないそうです。名前は、志那弥三郎範重ですが、山崎に住んでいたことから山崎宗鑑と呼ばれたということです。足利9代義尚に仕え、後に剃髪して山城国山崎に住んで油を ...

讃岐の風土記by出来屋―目次
... 江口の戦い―“ 江戸時代初めに流行したパンクヘアのルーツは鬼十河 ”(高松) ●1554年(天文23年)―山崎宗鑑没―“ 俳諧の祖・山崎宗鑑が隠棲した観音寺 ”(観音寺) ●1568年(永禄11年)―織田信長入洛により三好政権瓦解―“ 織田信長に ...

山崎宗鑑(やまざきそうかん、寛正6年(1465年)? - 天文 (元号) 天文22年(1553年)?)は、戦国時代 (日本) 戦国時代の連歌師・俳諧作者。本名を志那範重、通称を弥三郎と称し、近江国の出身とされるが、本名・出自にについては諸説あり定かではない。
室町幕府9代将軍足利義尚に仕えた(近習とも祐筆とも)が、義尚の陣没(延徳元年1489)後出家し、摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山城国(摂津国?)山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。大永3年(1523)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びそこで生涯を終えた。「一夜庵」の名は宗鑑が長居の客を厭い一夜以上の宿泊を断ったからといい、建物は修復を重ねながら現地に残されている。宗祇・宗長・荒木田守武などと交流し俳諧連歌を興隆した。宗鑑の連歌作品として伝わるものはわずかであるが、俳諧連歌のもっとも早い時期に編纂された俳諧撰集「犬筑波集」があり、その卑俗奔放な句風は、江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えた。なお、荒木田守武とともに、俳諧の祖と称される。能筆家としても有名で生計は書を売ることによって立てていたとも伝わる。
山崎宗鑑の詳細